夏休みも半分終わり、秋の雰囲気さえ感じさせる雰囲気ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕にとってはこの夏休みが実質最後の長期休暇です。悲しいです。来年は院試の勉強か、就活のラストスパートでヒィヒィ言っていることでしょう(笑)
時に、自分がこの大学に入り、この学科で勉強してきたことが自分にとって幸せだったかどうかを考えることがあります。大学生になって3年目の今、何を思うのか。今回は今までの道のりを振り返りつつ、将来のことについて少し書きます。忙しい人は中略してもらって構いません。
***
僕は幼い頃からコンピュータが好きでした。
小学一年生のとき、父親からお下がりのノートパソコンを貰ったのが始まりです。付属のマニュアルを何度も熟読し、色々試しては色々失敗し、パソコンの使い方を体得しました。マニュアルで覚えた漢字も少なくなかったと思います(笑)。
パソコンは僕にとってまさに魔法の道具でした。インターネットで知りたい情報を簡単にかつ迅速に入手できるし、自分のアイデアをデータという形にすることもできました。
幼心にも、パソコンの持つ様々な可能性に気づいていたのかもしれません。
その中の一つに、小学校低学年の頃に作成した新聞があります。これはその当時NHKで放送されていた「趣味悠々とっても楽しい中高年のパソコン教室」という番組で紹介されていた新聞を作ってみようという内容の真似事で、自分や家族の近況を写真をつけて書きました。
ある日、作成した新聞を小学校に持っていったところ担任の先生に評価され、それが校長先生にも伝わり校長先生にも褒められました。これはとても嬉しかったことを覚えています。
この頃から、パソコンで何かを作り、人々を楽しませることが自分にとっても楽しいことであると気づいたのだと思います。他にもボイスレコーダーで自分の声を録音してみたり、カメラで動画を撮って編集することもやってみました。
いつもパソコンばかり弄っていた僕は、ついに父親よりもパソコンに詳しくなってしまいました。そして、小学校高学年の時には家のパソコン周りのメンテナンスはほぼ自分が受け持つようになりました。この時、ネットワークに接続されている複数のパソコンを管理することの難しさと面白さに気づいた(いわゆるインフラ整備の類ですね)のだと思います。
中学生になった頃、動画投稿サイトの勢いが隆盛し、僕のパソコンへの興味は加速的に増加しました。前述のとおりパソコンを用いることで自分のアイデアを形にできると僕は考えていましたが、動画投稿サイトのように比較的容易に作品を公開できる場所が誕生したことで、多くの人々が作品を製作し公開すると共に多くの人々がそれらを鑑賞することが可能になりました。
以前はサーバーが配信するコンテンツをクライアントが受信し楽しむという一対一なコミュニケーションが主流でした(もちろん掲示板などはこれに限りません)が、ここでサーバーはクライアント同士の双方向的なコミュニケーションの中継地点としての役割を担うことになりました。中央集権的なサービスから分散型サービスへの転換と言ってもいいでしょう。分散型サービスは現在もホットなトレンドになっていることは皆様もご存知かと思います。(TwitterやFacebookなどのSNSに代表されますね)
閑話休題。中学三年生になり動画投稿サイトの投稿に影響を受けた僕は、吹奏楽部で培った音楽的センスを使って耳コピ、作曲に手を出し始めました。自分も頑張ればネットで評価されるような作品を制作することができるのではないか、という淡い期待もあったかもしれません。
何曲か拙作を作りましたが、結局大々的に公開することはありませんでした。しかし、あーでもないこーでもないと悩みつつも夢中で作曲に取り組んでいる時はとても楽しいものでした。真っ白なキャンバスに何かを描きはじめることは非常に難しいですが、自分の思い通りの作品ができた時の喜びは他に代え難いものであると考えています。
ところが高校生になると特進クラスに入り、受験勉強へのシフトを余儀なくされました。いや、最後は自分でこの選択肢を選びとったわけですが。今まで続けてきた創作活動はほとんど休むことになりました。自分のやりたいことを考える前に、とりあえずは大学に受からないことには始まらないと思ったからです。
***
このような軌跡を描き、現在に至ります。
大学生になってから、正直なところ自分は一ミリも成長していないんじゃないかと思います。ただ課題やレポートに追われ、長い通学時間は睡眠に当て、本当に自分がしたいことをゆっくり考える時間がなかった。言い訳でしょうか、多分そうでしょうね。でもこれが現実でした。
しかし大学3年生になった今、将来自分がなにをしたいのかをじっくり考えなければならない時期がやって来ました。最後の裁判の時が訪れたのです。
もはや大学受験の時のような、なんとなくの動機で将来を選択することは出来ません。なんとなくの動機で選択したところで、おおよそ後悔する結果が待ち受けていることでしょう。
自己分析という言葉がありますが、こうやって自分の過去を思い出し分析することで自分はどういう人間であるかというマニュアルを作る作業であると表現されることがあります。だからこうやって連々と文章を書いているわけです。あわよくば自分の本当の気持ちに気づくことが出来るのではないかと。
就職するのか、院に進学するのか。少なくとも、僕は生粋の研究者というものとは対極の位置にいる人間であると思っています。僕は自分達の力で何かしらのコンテンツもしくはインフラを作り、維持することで、他の人々に喜びを与えるという役割を果たしたいと思っています。パソコンを使うことに慣れ親しんだ身としては、パソコンを一から作ることよりもパソコンを用いて何かをすること(アプリケーション)に興味が有るのです。
他の人々に喜びを与えるという役割を果たす、それを具体的にはどのような形で実現するのか。そこの考えを詰めることが出来れば将来ももう少し見通しの良いものになるのでしょう。非常に難しいですが、本当の幸せを見つけるための大事な一歩として、残された時間を有意義に使おうと思います。こんなことを考える夏休みでした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
僕にとってはこの夏休みが実質最後の長期休暇です。悲しいです。来年は院試の勉強か、就活のラストスパートでヒィヒィ言っていることでしょう(笑)
時に、自分がこの大学に入り、この学科で勉強してきたことが自分にとって幸せだったかどうかを考えることがあります。大学生になって3年目の今、何を思うのか。今回は今までの道のりを振り返りつつ、将来のことについて少し書きます。忙しい人は中略してもらって構いません。
***
僕は幼い頃からコンピュータが好きでした。
小学一年生のとき、父親からお下がりのノートパソコンを貰ったのが始まりです。付属のマニュアルを何度も熟読し、色々試しては色々失敗し、パソコンの使い方を体得しました。マニュアルで覚えた漢字も少なくなかったと思います(笑)。
パソコンは僕にとってまさに魔法の道具でした。インターネットで知りたい情報を簡単にかつ迅速に入手できるし、自分のアイデアをデータという形にすることもできました。
幼心にも、パソコンの持つ様々な可能性に気づいていたのかもしれません。
その中の一つに、小学校低学年の頃に作成した新聞があります。これはその当時NHKで放送されていた「趣味悠々とっても楽しい中高年のパソコン教室」という番組で紹介されていた新聞を作ってみようという内容の真似事で、自分や家族の近況を写真をつけて書きました。
ある日、作成した新聞を小学校に持っていったところ担任の先生に評価され、それが校長先生にも伝わり校長先生にも褒められました。これはとても嬉しかったことを覚えています。
この頃から、パソコンで何かを作り、人々を楽しませることが自分にとっても楽しいことであると気づいたのだと思います。他にもボイスレコーダーで自分の声を録音してみたり、カメラで動画を撮って編集することもやってみました。
いつもパソコンばかり弄っていた僕は、ついに父親よりもパソコンに詳しくなってしまいました。そして、小学校高学年の時には家のパソコン周りのメンテナンスはほぼ自分が受け持つようになりました。この時、ネットワークに接続されている複数のパソコンを管理することの難しさと面白さに気づいた(いわゆるインフラ整備の類ですね)のだと思います。
中学生になった頃、動画投稿サイトの勢いが隆盛し、僕のパソコンへの興味は加速的に増加しました。前述のとおりパソコンを用いることで自分のアイデアを形にできると僕は考えていましたが、動画投稿サイトのように比較的容易に作品を公開できる場所が誕生したことで、多くの人々が作品を製作し公開すると共に多くの人々がそれらを鑑賞することが可能になりました。
以前はサーバーが配信するコンテンツをクライアントが受信し楽しむという一対一なコミュニケーションが主流でした(もちろん掲示板などはこれに限りません)が、ここでサーバーはクライアント同士の双方向的なコミュニケーションの中継地点としての役割を担うことになりました。中央集権的なサービスから分散型サービスへの転換と言ってもいいでしょう。分散型サービスは現在もホットなトレンドになっていることは皆様もご存知かと思います。(TwitterやFacebookなどのSNSに代表されますね)
閑話休題。中学三年生になり動画投稿サイトの投稿に影響を受けた僕は、吹奏楽部で培った音楽的センスを使って耳コピ、作曲に手を出し始めました。自分も頑張ればネットで評価されるような作品を制作することができるのではないか、という淡い期待もあったかもしれません。
何曲か拙作を作りましたが、結局大々的に公開することはありませんでした。しかし、あーでもないこーでもないと悩みつつも夢中で作曲に取り組んでいる時はとても楽しいものでした。真っ白なキャンバスに何かを描きはじめることは非常に難しいですが、自分の思い通りの作品ができた時の喜びは他に代え難いものであると考えています。
ところが高校生になると特進クラスに入り、受験勉強へのシフトを余儀なくされました。いや、最後は自分でこの選択肢を選びとったわけですが。今まで続けてきた創作活動はほとんど休むことになりました。自分のやりたいことを考える前に、とりあえずは大学に受からないことには始まらないと思ったからです。
***
このような軌跡を描き、現在に至ります。
大学生になってから、正直なところ自分は一ミリも成長していないんじゃないかと思います。ただ課題やレポートに追われ、長い通学時間は睡眠に当て、本当に自分がしたいことをゆっくり考える時間がなかった。言い訳でしょうか、多分そうでしょうね。でもこれが現実でした。
しかし大学3年生になった今、将来自分がなにをしたいのかをじっくり考えなければならない時期がやって来ました。最後の裁判の時が訪れたのです。
もはや大学受験の時のような、なんとなくの動機で将来を選択することは出来ません。なんとなくの動機で選択したところで、おおよそ後悔する結果が待ち受けていることでしょう。
自己分析という言葉がありますが、こうやって自分の過去を思い出し分析することで自分はどういう人間であるかというマニュアルを作る作業であると表現されることがあります。だからこうやって連々と文章を書いているわけです。あわよくば自分の本当の気持ちに気づくことが出来るのではないかと。
就職するのか、院に進学するのか。少なくとも、僕は生粋の研究者というものとは対極の位置にいる人間であると思っています。僕は自分達の力で何かしらのコンテンツもしくはインフラを作り、維持することで、他の人々に喜びを与えるという役割を果たしたいと思っています。パソコンを使うことに慣れ親しんだ身としては、パソコンを一から作ることよりもパソコンを用いて何かをすること(アプリケーション)に興味が有るのです。
他の人々に喜びを与えるという役割を果たす、それを具体的にはどのような形で実現するのか。そこの考えを詰めることが出来れば将来ももう少し見通しの良いものになるのでしょう。非常に難しいですが、本当の幸せを見つけるための大事な一歩として、残された時間を有意義に使おうと思います。こんなことを考える夏休みでした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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